
[クラシック(ピアノ)] 奇蹟のカンパネラ フジコ・ヘミング
豊かなるロマン主義を現代に伝えるただひとりのピアニスト、フジコ・ヘミング。 即物的な原典主義とは対極をなす、泉のように情感溢れ色彩薫る音楽の華。 音楽とは何か。その答のすべてがこのステージにあった。
フジコ・ヘミング ピアノリサイタル
2018年6月10日 東京オペラシティ コンサートホール
フジコ・ヘミングがピアノに向かうとき、世界は静寂に包まれる。
静寂の中にただ、ピアノに向かうひとりの人間が存在する。
彼女が鍵盤に触れてピアノの音が鳴る瞬間、千数百人を収めるホールの空間が宇宙になる。
俗世間に渦巻くあらゆる喧噪から遠く、遠く、夢の中へ…。
フジコ・ヘミングのステージ衣装は華やかだ。
必ず自らの手で装飾を施すというドレスは、世界にひとつだけの作品。
そのドレスを纏い、一台のスタインウェイに向かって、世界にひとつだけの宇宙を奏でる。

フジコ・ヘミング©Lasp Inc.
プログラム後半は、青から黒へどドレスの色が変わり、より深く、激しく、ロマンの旅は続く。
“奇蹟のカンパネラ” と称される、リスト「ラ・カンパネラ」は、クライマックスであるとともに、永遠への中継駅でもある。
長い長い不遇の闇を超えて歩み始めた夢の国へのフジコの旅は、ひとりの人間の希望の旅であると同時に、われわれ人類の忘れものを取り戻す問いかけでもある。
原典主義の浸透から “作曲者の意図に忠実” な演奏が好まれる昨今、ともするとフジコ・ヘミングの演奏は過度にロマン主義的と批判されることも多い。
だが、作曲者の意図とは何なのか。ただ楽譜に忠実に演奏することが本当の意図なのか。それは音楽としてあるべき姿なのか。
フジコ・ヘミングの演奏は問いかけでもあると同時に答である。
演奏とは、作曲者が夢見たように、いまここで演奏者が夢見なければ、それは音楽ではない。
そこには人間の感情があり、記憶があり、人生がある。
作曲者にも演奏者にも等しく、人間としてのありとあらゆるすべてがある。
その一切合切を音にこめて天に届け、聴衆を同時に天の輝きへと誘うのが音楽ではないか。
その意味で、フジコ・ヘミングの演奏こそ、ほんとうの音楽だと思わずにはいられない。
2018年6月10日 東京オペラシティ コンサートホール
Photos:Lyuta Ito & Atsuko Ito (Lasp Inc.)
Text : Lyuta Ito
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